バブル崩壊後の回復と再失速:1990年代半ばの日本経済を読み解く

経済、景気

1990年代の日本経済は、バブル崩壊の影響を受けた長期低迷期として語られますが、その中でも1995〜96年度には一時的な高成長が記録されました。本記事では、その要因と背景、そして再び失速した理由について、経済政策や国際情勢を交えて解説します。

1995〜96年度の高成長の背景

1995〜96年度、日本は実質GDP成長率でおよそ3%前後を記録し、バブル崩壊以降では珍しい回復局面を迎えました。この高成長の主な要因は、「円高不況」への対応として実施された大規模な財政出動と金融緩和策にあります。

たとえば、1995年の阪神・淡路大震災への対応として公共事業を中心とした補正予算が組まれ、国土再建を名目に大規模な支出が行われました。これにより建設業を中心とする需要が喚起され、GDP押し上げ効果が発生しました。

円安と輸出主導の成長

1995年の「1ドル=79円台」という超円高水準をピークに、その後は円安に転じました。これは日銀の量的緩和政策や日米間の経済協議の影響もあります。

その結果、輸出企業の業績が改善し、製造業を中心に景気が持ち直しました。特に自動車・電機・精密機器といった輸出型産業が好調で、企業収益の改善が設備投資や雇用の増加につながりました。

なぜ97年度から再び失速したのか

高成長は長くは続かず、1997年度から日本経済は再び失速します。最大の原因は1997年4月に実施された消費税の3%→5%への引き上げです。これにより個人消費が冷え込み、内需が縮小しました。

加えて、医療保険料の引き上げ、特別減税の終了なども同時期に行われ、実質的な可処分所得の減少が重なりました。結果として家計支出が抑制され、景気は急ブレーキがかかる形となりました。

金融システム不安の連鎖

1997年末から1998年にかけては、北海道拓殖銀行、山一證券といった大手金融機関の相次ぐ破綻が起こります。これにより金融システムへの不信が広まり、貸し渋り・貸しはがしが横行し、中小企業を中心に資金繰りが悪化しました。

この時期は「金融危機の年」とも呼ばれ、経済成長率も1998年度にはマイナスに転じます(−2.5%程度)。企業の設備投資は停滞し、失業率も悪化しました。

アジア通貨危機の影響

1997年夏にはタイを発端としたアジア通貨危機が発生し、韓国・インドネシア・マレーシアなどの経済が深刻な打撃を受けました。日本企業はアジア地域への輸出比率が高く、輸出需要の減少が国内経済の回復をさらに鈍化させました。

また、アジアに進出していた日系企業も現地通貨の暴落による収益悪化に直面し、国内への投資を控える動きが強まりました。

まとめ:短期的な回復と構造的な課題の狭間で

1995〜96年度の日本経済の高成長は、主に一時的な政策効果と為替の影響によるものでした。対して、1997年度以降の失速は消費税増税と金融不安という内外のショックが重なった結果と言えます。

この時期を振り返ると、景気対策のタイミングと政策の持続性、金融システムの健全性がいかに経済安定に重要かがわかります。

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