1970年代に起きた第一次・第二次石油ショックは、世界経済に深刻なインパクトを与え、日本も例外ではありませんでした。「日本経済はもうダメだ」との声が当時飛び交っていたとされることもありますが、果たしてそれは事実なのでしょうか?本記事では、当時のエコノミストや政府、メディアの反応をふまえ、過去の教訓から現代を読み解きます。
第一次石油ショックとは何だったのか
1973年10月、第四次中東戦争を背景に、OPEC(石油輸出国機構)が原油価格を約4倍に引き上げたことで、第一次石油ショックが発生しました。日本は当時エネルギーの9割以上を輸入原油に頼っていたため、大きな経済的打撃を受けました。
この結果、物価上昇率は1974年に23%超を記録し、企業倒産や景気後退が相次ぎました。スタグフレーション(不況下のインフレ)という言葉もこの頃に広まりました。
第二次石油ショックと日本経済の対応
1979年、イラン革命やイラン・イラク戦争による供給不安から再び原油価格が高騰し、第二次石油ショックが勃発。原油価格は2倍に跳ね上がり、再び世界経済が混乱しました。
しかし、第一次ショックの教訓を生かしていた日本は、エネルギー効率の改善、省エネ技術の導入、原発や天然ガスへの分散化などで柔軟に対応。結果として、1970年代後半から1980年代前半にかけての成長を確保しました。
「日本はもう終わった」と言っていたのは誰か?
当時の新聞や経済誌には悲観的な見出しが踊り、「失われた10年の始まりか」といった論調もありました。しかし、すべてのエコノミストが「日本経済はもうダメ」と言っていたわけではありません。
実際には、日本政府や一部の研究者・企業家は逆に「これを機に産業構造を転換すべき」という前向きな提言を行っており、その後のハイテク化・輸出主導型経済へのシフトにつながりました。
実例:松下電器やトヨタの対応
松下電器(現パナソニック)は、第一次ショック以降、生産工程の自動化と省電力化を推進し、世界市場での競争力を強化。トヨタは小型車への注力と生産方式の見直しにより、燃費競争で優位に立ちました。
これらの企業の動きが象徴するように、「ピンチをチャンスに変える」力こそ、日本経済の底力だったといえます。
歴史から学ぶ:感情ではなく事実で未来を見る
激動の中では誰しも不安を抱え、「もう終わった」という悲観的見解がメディアを賑わせがちです。しかし、後から振り返ると、その多くは過度な悲観だったケースも多くあります。
冷静な事実と構造的視点に基づく判断こそが、将来の意思決定を支える武器になります。
まとめ:危機の中にこそ、変革の種がある
第一次・第二次石油ショックの際、日本経済は確かに厳しい状況に直面しましたが、それを乗り越えるための努力と柔軟な対応により、復活への道を歩みました。「もうダメだ」という声はあったものの、それに反して現実には力強く立ち直ったのです。
歴史は繰り返すとも言われます。現在の不安定な時代においても、過去から学び、未来への指針を見出すことが、今を生きる私たちにとって最も重要なのかもしれません。

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