1929年に起きたアメリカ発の世界恐慌は、現代経済史において最も深刻な経済危機のひとつとされます。本記事では、フーバー大統領の政策や第一次世界大戦の余波など、複数の要因がどのように絡み合ってこの大恐慌が引き起こされたのかを、分かりやすく解説していきます。
大恐慌発生の時代背景:繁栄の1920年代
1920年代のアメリカは”狂騒の20年代(Roaring Twenties)”と呼ばれるほど好景気が続きました。大量生産・大量消費の拡大、株式市場の急成長、電化・自動車化の普及などが経済を支えていました。
しかしその一方で、農業や中小企業は恩恵を受けにくく、所得格差が拡大。金融業界では過剰な信用取引(マージン取引)が広まり、バブルの土壌が形成されていきました。
第一次世界大戦の影響と過剰生産のツケ
第一次世界大戦中、アメリカは戦争需要により農業・工業生産を拡大させました。しかし戦後、欧州の復興とともに輸出は減少、需要と供給のバランスが崩れ、価格が暴落しました。
特に農業分野では、膨大な在庫と過剰設備が重荷となり、農民の経済状況は悪化。このような構造的な不均衡が、経済の根底に潜むリスクを増幅していたのです。
フーバー政権の高関税政策と国際貿易への影響
1929年に就任したフーバー大統領は、アメリカの産業保護を目的に関税引き上げ政策を推進。その象徴が1930年のスムート・ホーリー関税法です。
この法律により、アメリカは多くの輸入品に高関税を課し、報復として各国も関税を強化。結果、国際貿易は急激に縮小し、世界的な需要減退を招いてしまいました。
金融政策と市場への対応の遅れ
連邦準備制度(FRB)は株式市場の加熱を抑えるため、1928年以降に利上げを続けましたが、逆に景気後退を早める結果となりました。また、1929年10月の株価暴落(ブラック・サーズデー)後の金融機関への支援は不十分で、銀行の連鎖倒産を招きました。
フーバー政権は「政府の介入は市場原理に反する」として、公共事業拡大や直接的救済を避けたため、民間の消費や雇用は急速に落ち込みました。
複合的な要因が引き起こした世界恐慌
結論から言えば、大恐慌は単一の原因で起きたわけではありません。戦時の過剰生産、高関税政策、金融の脆弱性、そして政府の対応の遅れなど、複数の構造的・政策的要因が重なった結果です。
つまり、第一次世界大戦の経済構造の歪みと、フーバー政権の政策的選択はいずれも恐慌の「加速因子」として重要な役割を果たしたのです。
まとめ:歴史から学ぶ経済政策の教訓
1929年の世界恐慌は「経済成長の歪み」と「政策の失敗」が結びついて起きた複雑な危機でした。フーバー大統領の政策だけでなく、それ以前から蓄積された経済リスクがあったことを忘れてはいけません。
現代においても、過剰なバブルや一国主義的な政策の危険性は常に存在しています。歴史を正しく理解することは、未来の経済政策を考える上で欠かせない視点となるでしょう。

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