「投資は勤労ではない」「働いていない人間が金を得るのは不公平だ」――こうした主張を耳にすることがあります。しかし現代の資本主義経済において、資本を動かし企業に投資するという行為は、明確に経済の一端を担う“役割”であり、“労働”と同じように評価されるべき活動ではないでしょうか。本記事では、個人投資家が社会に与える影響、投資が果たす経済的意義、そして“勤労”の定義そのものを見つめ直していきます。
そもそも「勤労」とは何か?
日本国憲法第27条では「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」とされています。ここで言う勤労とは、必ずしも“雇用されて対価を得る”行為だけではなく、経済社会において価値を生み出す行動全般を指すと解釈される余地があります。
現代では、エンジニア、農業従事者、配達員など様々な形の労働がありますが、投資活動もまた、「リスクを取って資金を供給する」という意味で、経済活動において重要な機能を担っているのです。
投資活動が社会に与える本質的な価値
株式市場に資金を提供するという行為は、企業にとっての資本調達の源泉です。つまり、投資家が株を買う=企業が新たな成長のための資金を得るという構図が成り立ちます。
たとえば、個人がS&P500に連動するETFに1億円を投資し、年間7%のリターン(約700万円)を得たとします。これは、資金提供者としてアメリカの代表的な企業群の成長を後押しし、間接的に雇用・イノベーション・税収の増加などにも貢献していることになります。
つまり、投資家は「株式を大きくさせる」ことで社会に価値を還元しているのです。
GPIFやファンドマネージャーは「働いていない」のか?
もし「株式投資は勤労ではない」と主張するならば、日本の年金資産を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の職員や、世界中のファンドマネージャーたちも「働いていない」ことになってしまいます。
しかし実際には、彼らは高度な分析能力・リスク管理・経済予測に基づき、数兆円規模の資金を日々動かし、国民資産を増やす責任を担っているのです。
個人投資家も、スケールは異なれど、同様の意思決定をし、資本をリスクに晒して社会に還元するという意味では、十分に“経済的労働”を果たしているといえるでしょう。
お金を「回す」という行為の重要性
資本主義経済において、お金を回す存在が不可欠です。消費者は消費を通じて需要を生み、生産者は供給を通じて雇用を創出し、投資家は資本の循環を通じてその仕組み全体を支えています。
これは単に「金持ちがさらに金を増やすための行為」ではなく、経済にとって必要不可欠な構成要素です。もし誰も投資をしなければ、新規事業の立ち上げも、企業の設備投資も、成長も止まってしまいます。
「投資は勤労ではない」という価値観の背景
「汗水たらして働くことこそ労働だ」という昭和的な価値観が根強く残っているのも事実です。これは身体的労働への敬意であり、それ自体は否定されるべきものではありません。
しかし、時代は変わり、情報・資本・意思決定が価値を生む現代においては、知的・戦略的な活動も立派な『労働』なのです。
まとめ:「投資=勤労」ではないが、「非労働」でもない
投資家が果たしているのは、リスクを負いながら資金を社会に供給するという、極めて重要な経済活動です。それは必ずしも「勤労」という言葉にぴったりとはまるものではないかもしれませんが、「働いていない」と断じるのは現実を無視した狭い視点です。
資本主義の本質は、資本と労働のバランスによって社会が成り立つこと。投資家は資本の側から、間違いなく社会を支えている一員です。働くという概念を再定義する時代が、すでに始まっているのです。

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