日本の長期金利が大きく上昇したとき、「日本国債を相続税非課税にすれば、富裕層や高齢者が国債を大量に買い、国債価格が上がって金利はすぐ低下するのではないか」という考え方があります。仕組みとしては一定の合理性があります。国債に相続税上の優遇を与えれば、課税対象となる資産家にとって国債の魅力が増し、国債需要を押し上げる方向に働くからです。しかし、国債の相続税をゼロにしただけで、金利が「たちどころに」元の低水準へ戻るとは限りません。長期金利は国債の需給だけでなく、日本銀行の政策金利、将来の物価上昇率、財政への信認、国債発行額、海外金利、投資家が求めるリスクプレミアムなど多くの要因で決まるためです。
- 国債の価格が上がると金利が下がる仕組み
- 国債だけ相続税ゼロにすれば需要は増える可能性が高い
- 例えば1億円を国債へ移すインセンティブは非常に大きくなり得る
- それでも「すぐ低金利に戻る」とは言えない最大の理由
- 2026年の日本では政策金利・インフレ期待も長期金利に影響している
- 相続税が関係するのは国民全体ではなく一部の相続
- ただし対象者は少なくても保有資産額が大きいため影響は無視できない
- しかし国債市場は数兆円ではなく巨大な市場
- 国債の相続税非課税を無制限にすると極端な節税策になり得る
- 国債を非課税にすると国の利払い費は減っても相続税収も減る
- 国債だけ優遇すると他の金融商品との公平性も問題になる
- 金利高騰の原因が「国債への信認低下」なら逆効果になる可能性もある
- 「相続税ゼロ」と「日銀の国債買入れ」は効果の確実性が違う
- 限定的な非課税枠なら政策としてはより現実的
- 金利高騰を本当に抑えるなら原因に応じた政策が必要
- まとめ:国債の相続税ゼロは金利低下要因にはなるが「たちどころに低金利」は期待しにくい
国債の価格が上がると金利が下がる仕組み
まず、国債価格と金利には基本的に逆方向の関係があります。市場で国債を買いたい人が増えると国債価格は上昇し、既に発行されている国債の利回りは低下します。
例えば額面100万円、年間利子2万円の国債が市場で100万円なら、単純な利回りは約2%です。しかし需要が増えて価格が105万円まで上昇すると、同じ2万円の利子を受け取っても投資額に対する利回りは低くなります。
日本銀行の研究でも、国債について市場に残る「純供給」の量が長期金利へ影響することが示されています。つまり、誰かが大量に国債を保有して市場の需給を引き締めれば、長期金利を押し下げる方向に作用し得ます。[参照]
国債だけ相続税ゼロにすれば需要は増える可能性が高い
現在の日本では、国債も原則として相続税の課税対象となる財産です。国税庁は、利付公社債について市場価格などを基に相続税評価額を計算すると案内しています。[参照]
個人向け国債についても非課税ではなく、原則として「額面金額+経過利子相当額-中途換金調整額」による中途換金価額で評価されます。[参照]
仮に法律を改正し、「死亡時に保有している日本国債は相続税の課税財産に含めない」とすれば、相続税負担が大きい資産家にとって国債は非常に有利な資産になります。その結果、預金、株式、投資信託、不動産などから国債へ資金を移す人が増え、国債需要を押し上げる可能性があります。
例えば1億円を国債へ移すインセンティブは非常に大きくなり得る
極端な制度を考えると効果が分かりやすくなります。例えば相続税の課税対象となる資産を数億円持つ人が、現金1億円をそのまま残せば相続税評価上は基本的に1億円の財産です。
一方、「日本国債なら相続時の評価額をゼロとする」という制度になれば、亡くなる前に1億円を国債へ交換するだけで、その1億円が相続税の課税対象から外れることになります。
このような強力な税制優遇があれば、特に高齢の富裕層を中心に国債を購入する動機はかなり強くなるでしょう。その意味では、国債価格を押し上げて利回りを低下させる政策効果そのものは十分考えられます。
それでも「すぐ低金利に戻る」とは言えない最大の理由
長期金利は国債の需給だけで決まるものではありません。将来の短期金利がどの程度になると市場が予想しているか、将来のインフレ率、そして長期間資金を固定することに対して投資家が要求するリスクプレミアムなどが影響します。
実際、日本銀行は2026年8月のレビューで、最近の長期金利上昇について、国債買入れ減額だけではなく、基調的な物価上昇率の上昇などファンダメンタルズの変化も相応に作用していると分析しています。[参照]
したがって、例えばインフレ率が高止まりし、市場が「日銀は今後さらに政策金利を上げる」と予想している局面では、相続税優遇による国債需要が増えても、その上昇圧力を完全に打ち消せるとは限りません。
2026年の日本では政策金利・インフレ期待も長期金利に影響している
日本銀行によると、2025年度の長期金利は、政策金利が0.75%程度まで引き上げられたこと、国内の経済・物価指標を受けて将来の政策金利予想が上昇したこと、原油価格上昇によるインフレ警戒などを背景に上昇し、2026年3月下旬には10年程度の長期金利が2.3%台後半まで上昇しました。[参照]
つまり金利上昇が単純な「国債の買い手不足」だけで起きているわけではありません。
仮に相続税優遇によって個人の国債購入が大幅に増えても、市場が「今後の政策金利は3%になる」「物価上昇率も高い状態が続く」と予想しているなら、10年国債を1%程度の利回りで大量に買うことには抵抗が生まれます。
相続税が関係するのは国民全体ではなく一部の相続
もう一つ重要なのが、そもそも相続税を支払う人は全死亡者の一部だという点です。
国税庁によると、2023年分では死亡者約157万6千人のうち、相続税の課税対象となった被相続人は約15万6千人で、課税割合は約9.9%でした。[参照]
相続税には現在、原則として3,000万円+600万円×法定相続人の数という基礎控除があります。[参照]そのため財産が基礎控除以下の家庭では、国債を相続税非課税にしても直接の税メリットはほぼありません。
ただし対象者は少なくても保有資産額が大きいため影響は無視できない
課税される相続が約1割だからといって、政策効果が小さいと決まるわけではありません。相続税の対象になる世帯は、平均よりもかなり大きな金融資産を保有しているからです。
国税庁によると2023年分の相続税の課税価格は約21.6兆円、税額は約3兆円でした。[参照]
このうち相当額が「国債を持てば非課税」という制度を利用するため国債へ移動すれば、国債市場に数兆円規模の追加需要が発生する可能性はあります。そのため政策として金利を押し下げる力がゼロとは考えにくいでしょう。
しかし国債市場は数兆円ではなく巨大な市場
日本国債は残高が極めて大きく、新規発行も継続的に行われています。例えば財務省は2026年8月だけでも、5年国債や20年国債などを入札で発行しています。20年国債の2026年8月20日の入札では発行予定額だけで約7,000億円でした。[参照]
国債市場全体では銀行、生命保険会社、年金、海外投資家、日本銀行など巨大な投資主体が動いています。
個人の相続対策需要が増えれば需給には影響しますが、それだけで市場全体の金利形成を完全に支配できるとは限りません。
国債の相続税非課税を無制限にすると極端な節税策になり得る
政策としてさらに大きな問題になるのが租税回避です。
仮に国債だけ相続税を完全非課税にし、保有期間などの条件も設けなければ、死亡が近い資産家が預金・株式・不動産などを売却して日本国債へ交換することで、相続税負担を大幅に減らせる可能性があります。
例えば総資産5億円の人が死亡直前に4億円を国債へ換え、その4億円を完全非課税にできるなら、相続税制度そのものを大きく迂回する手段になります。
国債を非課税にすると国の利払い費は減っても相続税収も減る
国債需要が増えて金利が低下すれば、政府にとって新しく発行する国債の利払い費を抑えられるメリットがあります。
しかしその一方で、本来受け取るはずだった相続税収を失います。2023年分の相続税額は約3兆円ですから、国債へ大規模な資産移転が起これば税収への影響も無視できません。[参照]
したがって財政全体で見る場合、「国債金利が下がって利払いが1兆円減ったが、相続税収が2兆円減った」ということも理論上あり得ます。金利だけを見て得か損かを判断することはできません。
国債だけ優遇すると他の金融商品との公平性も問題になる
もう一つの論点は税制の公平性です。現金、預金、株式、投資信託などは相続税の対象なのに、日本国債だけ無制限に非課税にすると、ほぼ同じ金融資産でありながら税負担に極端な差が生まれます。
すると資産運用の判断が「どの商品が最も成長するか」ではなく、「相続税を避けるために国債を買う」という税制中心の判断に歪む可能性があります。
企業の株式や社債から国債へ資金が移れば、民間企業への資金供給を弱める副作用も考えられます。
金利高騰の原因が「国債への信認低下」なら逆効果になる可能性もある
仮に将来、日本の金利が急上昇した原因が単なる金融政策正常化ではなく、「財政赤字が大きすぎて将来の返済やインフレが不安だ」という財政リスクだった場合は、さらに慎重に考える必要があります。
その局面で政府が「国債を買えば相続税をゼロにします」と打ち出すと、短期的には需要増加につながる可能性があります。しかし市場から「通常の条件では国債を買ってもらえないので税制で買わせようとしている」と受け取られれば、財政への不安を逆に強める可能性も否定できません。
長期金利には、将来の短期金利だけでなく財政・インフレなどに対するリスクプレミアムも含まれます。日本銀行も2026年の講演で、長期金利には短期金利上昇期待だけでなく、国債投資に関するリスクプレミアムが反映されると指摘しています。[参照]
「相続税ゼロ」と「日銀の国債買入れ」は効果の確実性が違う
金利を下げる仕組みとして考えると、国債への相続税優遇は「個人に国債を買ってもらうためのインセンティブ」です。
一方、日本銀行による国債買入れは、日本銀行自身が市場から直接国債を購入するため、国債需要を生み出す効果はより直接的です。実際、日本銀行の研究では大規模な国債買入れによる国債の純供給減少が長期金利低下に作用したと分析されています。[参照]
したがって「とにかく短期間で市場金利へ影響を与える」という目的だけなら、相続税制度の変更より中央銀行の金融政策の方が通常は直接的です。ただし金融政策には物価安定という本来の目的があるため、財政の利払い費を抑えるためだけに国債を大量購入できるわけではありません。
限定的な非課税枠なら政策としてはより現実的
もし「個人にもっと日本国債を持ってもらい、安定した国内投資家層を増やす」という政策目的なら、完全非課税よりも上限付きの優遇制度の方が考えやすいでしょう。
例えば「個人向け国債について1人1,000万円まで相続税非課税」「5年以上保有した場合のみ一定額を控除」といった設計であれば、死亡直前に全財産を国債へ移す極端な租税回避を抑えつつ、個人の国債保有を促すことができます。
ただし、その場合は非課税額が限定されるため、国債市場全体の金利を劇的に押し下げる力も小さくなります。政策効果と税制の公平性にはトレードオフがあります。
金利高騰を本当に抑えるなら原因に応じた政策が必要
長期金利が高騰した場合、まず「なぜ上がったのか」を見なければなりません。
| 金利上昇の主因 | 有効になり得る対応 |
|---|---|
| 国債の一時的な需給悪化 | 発行年限調整、買入れ、投資家層拡大など |
| インフレ率上昇 | 物価安定を目的とした金融・経済政策 |
| 将来の政策金利上昇予想 | 日銀の金融政策と市場とのコミュニケーション |
| 財政への信認低下 | 中長期の財政運営への信頼回復 |
| 国債需要不足 | 発行計画調整や投資家基盤の拡大 |
相続税優遇が最も効きやすいのは、この中では「国債需要不足」に近いケースです。インフレや財政への不安が主因なら、それだけでは根本解決になりません。
まとめ:国債の相続税ゼロは金利低下要因にはなるが「たちどころに低金利」は期待しにくい
日本国債を相続税非課税にすれば、国債需要が増えて長期金利を押し下げる方向に働く可能性は十分あります。特に相続税を負担する富裕層にとっては大きな節税メリットとなるため、預金や株式などから国債へ資金を移す動きが起こるでしょう。
しかし、「相続税をゼロにした瞬間、金利高騰が終わって以前の低金利へ戻る」とまでは言えません。長期金利は国債需給のほか、政策金利、将来のインフレ率、財政への信認、国債発行量、海外金利、リスクプレミアムなどで形成されるからです。2026年の日本銀行の分析でも、最近の長期金利上昇には基調的な物価上昇率などファンダメンタルズの変化が作用しているとされています。[参照]
また、相続税が実際に課税されるのは全死亡者の約1割であるため、国民全員が国債を買うインセンティブを得るわけではありません。一方で対象者は多額の資産を保有するため、需要押し上げ効果そのものは無視できないでしょう。[参照]
さらに無制限の相続税非課税を認めれば、死亡直前に資産を国債へ移すことで巨額の相続税を回避でき、相続税収の減少や他の金融商品との不公平、民間投資から国債への資金偏重といった副作用が生じます。
したがって政策として評価するなら、「国債の相続税非課税は金利を下げる一つの需要政策にはなり得るが、金利高騰を瞬時に解決する万能策ではない」という整理が最も適切です。金利上昇が一時的な国債需給の悪化によるものなのか、インフレ・金融政策・財政リスクによるものなのかによって、その効果は大きく変わります。
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