近年、SNSや掲示板で「人類終末を望む声」が少しずつ目立つようになっています。特に『○月○日予言』『人類終焉願望』といった投稿が、冗談交じりではあるものの現実に共感を得ているケースもあります。本記事では、なぜそのような感覚が一部の人々に広がっているのか、社会的背景や心理的要因を通して分析します。
なぜ「人類終末を望む」感情が生まれるのか
「このまま世界が終わってしまえば楽なのに」という発言は一種の心の防衛反応です。特にコロナ禍後、経済格差や未来への不安が増したことで、無力感からそうした感情が浮上しやすくなっています。
また、日本では長年続くデフレ経済、若者の貧困、孤独などが複合的に絡み、将来を楽観視できない状況にあることも背景といえるでしょう。
ネットで広がる「○月○日予言」の心理構造
2023年から2024年にかけても「7月5日に世界が終わる」「9月に太陽フレアが地球を滅ぼす」などの予言がSNSで拡散されました。これらは事実無根であるにもかかわらず、多くのリツイートや反響を集めています。
その理由は、日々の生活の中に『確実な終わり』があるというフィクションに“安心感”を覚える人が一定数いるためです。これは予測不能な社会よりも、終末という確定的未来に頼りたいという欲求に近いといえます。
現代日本人が抱える「閉塞感」
内閣府の調査によると、20代〜40代のうち7割以上が「将来に不安を感じる」と回答しており、その背景には雇用不安や年金制度への不信感、家庭を築くことの難しさがあります。
とくに若年層では、「生きづらさ」や「自己肯定感の低さ」が社会課題になっており、未来に希望を抱けない層が一部で増加しています。
メディアとコンテンツの影響:終末願望が表現される場所
近年の映画やアニメ、音楽には「終末」をテーマにした作品が多く見られます。例:『天気の子』『シン・エヴァンゲリオン』『アナイアレーション』など。
これらは単なるエンタメではなく、現代人の「逃避したい」「すべてをリセットしたい」という深層心理の表現とも言えます。実際に作品に共感するコメントには「このまま終わってしまってもいい」という声も散見されます。
終末願望は危険な兆候か、それとも心のSOSか
終末を願う気持ちは、必ずしも危険思想ではありません。むしろ社会の閉塞感やストレスの“出口”として浮上しているサインとも捉えられます。
もし周囲に「死にたい」や「全部終わればいい」と語る人がいたら、それは単なる愚痴ではなく、何らかの心の叫びの可能性も。専門家に相談する、話を聞くなど、早めの対応が望まれます。
まとめ:終末願望は希望の裏返し
人類の終末を望む声が聞こえるとき、実はそこに“生きたい”という願いが隠れているのかもしれません。社会が不安定なときほど、過激な思考が生まれやすくなります。
大切なのは、「なぜそう思うのか?」という背景に目を向けること。その理解こそが、閉塞を打ち破る第一歩になるはずです。

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