バブル期の異常な日常:昭和の日本が経験したバブリーなリアルとは?

経済、景気

1980年代後半から1990年代初頭にかけて、日本はかつてない経済的高揚感に包まれた「バブル経済」時代を迎えました。土地や株価の急騰、企業の過剰投資、個人の豪奢な消費など、今では信じられないような光景が日常として存在していました。本記事では、当時を知る人々のエピソードを交えながら、その時代の空気感を再現してみたいと思います。

飲み代は会社持ち、夜の銀座は接待の聖地

多くの企業では、接待費に関する制限が緩く、毎晩のように高級クラブやバーで接待が行われていました。銀座や赤坂のクラブでは、ボトルキープが当たり前、1晩で数十万円が飛ぶことも珍しくありませんでした。

実際に、大手商社に勤めていた男性は「週5日接待で毎回2~3万円、全部会社の経費だった。財布を持たずに出かけるのが普通だった」と語っています。

新人社員がタクシー出勤、深夜も「空車なし」

残業や接待で遅くなった社員たちは、遠慮なくタクシーを使って帰宅。中には朝出勤する際にも「満員電車に乗りたくない」という理由でタクシーを使っていた新入社員もいたと言われます。

当時はタクシーチケットが企業で大量に配布されており、深夜に空車を捕まえるのが難しいほどの需要がありました。

OLの間で流行した高級ブランドとリゾート旅行

女性社員の間では、ルイ・ヴィトンやシャネルのバッグを持つことが“当たり前”。賞与でハワイ旅行に行き、ボーナスの半分をブランド品に使う人も多数いました。

バブル期は“女子大生ブーム”の時代とも重なり、女子大生が高級車で送迎されたり、リゾート地に別荘を持つ年上の男性と週末を過ごすという話も一般的でした。

株や不動産で一夜にして“億り人”

土地の価格は“1年で倍”になることもあり、不動産転がしで一気に数億円を手にした人も。都心のワンルームマンションでも数千万円、山手線内側の土地は「地面が金に見える」とまで言われました。

株式市場も活況で、日経平均株価は1989年末に38,915円という史上最高値を記録しました。「株で儲けてフェラーリを買った」や「主婦が家計費で株を買って億を稼いだ」といった逸話も多数存在します。

異常な時代の裏に潜んでいた不安と崩壊

華やかな生活の裏では、企業の実態を伴わない投資や借入が横行し、不動産バブル崩壊と共に一気に資産が目減り。数千万円の住宅ローンが残り、会社も倒産。バブル崩壊後は「地獄を見た」という声も少なくありません。

たとえば、大手銀行員の男性は「紙切れ同然になった株式を見て、涙が止まらなかった」と語っています。

まとめ:バブルは幻想か、それとも教訓か

バブル期の日本は、経済的な絶頂と消費文化の象徴でした。しかし、その後の急激な崩壊は、準備なき繁栄がいかに危ういかを教えてくれました。

今を生きる私たちにとって、バブルの時代は懐かしいだけでなく、経済のサイクルと「適正な価値」の重要性を考える貴重な教材でもあります。

経済、景気
最後までご覧頂きありがとうございました!もしよろしければシェアして頂けると幸いです。
最後までご覧頂きありがとうございました!もしよろしければシェアして頂けると幸いです。
riekiをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました