1980年代後半、日本は空前の好景気を迎え、株価や地価が異常なまでに高騰しました。いわゆる「バブル経済」は、消費も投資も拡大し、国民全体が将来に楽観的な期待を抱いていた時代でした。しかしその後、急激な崩壊が訪れ、日本経済は長期停滞へと向かいます。では、バブル崩壊はなぜ起こったのでしょうか?この記事では、その構造的かつ政策的な要因を解説します。
過剰な金融緩和と資産価格の急騰
1985年のプラザ合意以降、円高不況を防ぐため、日本銀行は大幅な金融緩和政策を取りました。公定歩合は段階的に引き下げられ、企業や個人が容易に借入できる環境が整ったのです。
これにより、株や不動産などの資産に大量の資金が流れ込み、実態から乖離した価格上昇が発生しました。たとえば、都内の土地価格は数年で数倍にもなりました。
地価・株価の過熱に対する政府の対応
資産バブルの加熱に対し、政府と日銀は1989年から金融引き締めに転じ、公定歩合を引き上げました。同時に、不動産融資を制限する「総量規制」も導入され、銀行による土地関連融資が一気に冷え込みました。
これにより、まず不動産価格が崩れ始め、次いで株価も下落。信用収縮が始まり、企業の資金繰りが悪化したことで経済活動は急ブレーキをかけられたのです。
信用収縮と金融機関の不良債権問題
地価と株価の下落により、多くの企業が含み損を抱え、貸し倒れが発生しました。これにより金融機関のバランスシートは悪化し、不良債権問題が深刻化します。
特に地価を担保にした融資が多かった都市銀行や信用組合は、債権の回収ができず、経営破綻や統合が相次ぎました。
過度な楽観と群集心理
バブル期には「土地は必ず値上がりする」「株は買えば上がる」といった楽観論が蔓延し、それがさらに資産価格の上昇を加速させるという悪循環が存在しました。
しかしそれは実体経済と乖離した期待であり、いずれ崩れる運命にありました。いわゆる「群集心理」が形成されたことで、多くの投資家が冷静な判断を失ったのです。
他国のバブル崩壊と比較した特徴
アメリカのサブプライムローン危機や韓国の通貨危機など、世界でもバブルの崩壊はありますが、日本のケースはその後の「失われた30年」と言われるように、長期的な影響が特に深刻でした。
金融機関の処理の遅れ、構造改革の先送りなどが、その後の景気回復を阻害したと言われています。
まとめ:複合的な要因がバブル崩壊を引き起こした
バブル崩壊の原因は一つではなく、「金融緩和」「政策の転換」「不良債権の増加」「群集心理」などが複雑に絡み合った結果です。これらの反省から、現在の金融政策やマクロ経済運営にも慎重さが求められるようになりました。過去の教訓を活かすことが、今後の経済安定には不可欠です。

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