2020年代の日本では、長引く低成長・物価上昇・賃金停滞が常態化しており、「好景気とは何か?」という実感を持つのは難しくなっています。特にZ世代以降の人々にとって、親世代すらバブル崩壊後の「就職氷河期」に直面していることが多く、「不況じゃない時代の雰囲気」がまったく想像できない、という声も少なくありません。この記事では、1980年代後半のいわゆる“バブル景気”を中心に、「不況ではなかった時代」の社会的な空気や生活、就職状況について具体的に解説します。
バブル景気とはどんな時代だったのか
バブル景気とは、1986年〜1991年頃にかけて日本経済が急成長を遂げた期間を指します。この時期、土地や株式などの資産価格が急騰し、企業や個人が金融機関から簡単に融資を受けられる状態が続いていました。
日経平均株価は1989年末に38,915円を記録し、地価も都市部を中心に異常な高騰を見せ、東京・山手線内の土地価格でアメリカ全土が買えるとまで言われました。まさに「カネ余り」の時代だったのです。
生活実感としての「好景気」の空気感
この時代の特徴的な雰囲気は、「何をやっても上手くいく」「将来はどんどん良くなる」という楽観的なムードです。企業は積極的に採用を行い、大学生の内定率はほぼ100%近く、「売り手市場」という言葉が現実でした。
企業が社員旅行で海外に連れて行く、ボーナスで新車を購入する、合コンで「三高(高学歴・高収入・高身長)」が話題になる——そんな消費や成功に前向きな価値観が当たり前に語られていました。
地方と都市部の格差は?ド田舎でも恩恵はあったのか
たとえ地方であっても、大手企業の地方工場や下請け企業が好調で、求人倍率は高水準にありました。農業地域でも土地価格が上がったことで、農地を売却して新築住宅を建てる家庭もあり、「マイカー・マイホーム・海外旅行」が当たり前という時代に近づいていたのです。
ただし、都市部の熱狂に比べて、地方では実感しにくかった側面もあります。とはいえ、金融緩和の恩恵は全国に波及していたため、地方でも「景気が良かった」という感覚は一定程度あったと言えるでしょう。
企業や社会の価値観もポジティブに満ちていた
企業側は「人材はコストではなく資産」と考え、新卒はとりあえず大量に採用、育てれば何とかなるという雰囲気でした。終身雇用と年功序列のもと、会社に入れば安定した将来が約束されていると信じられていたのです。
また、テレビCMや雑誌のキャッチコピーも「24時間働けますか?(リゲイン)」など、過労を前提とした働き方すらもポジティブに受け取られていました。
それ以降の変化:バブル崩壊から氷河期へ
1991年以降のバブル崩壊で一気に地価と株価が暴落し、企業はリストラと新卒採用の抑制へと動きます。いわゆる「就職氷河期」世代はこの煽りを受け、一度レールを外れると再チャレンジが困難な社会となりました。
親世代が好景気を知らないというのは、まさにこの構造の中で形成された現実であり、「不況しか知らない感覚」はZ世代以降にも引き継がれつつあります。
まとめ:「不況じゃない社会」は、希望と過信が同居する時代だった
好景気の時代は、経済指標だけでなく、人々の感情や行動にも反映されます。物事が前向きに受け取られ、失敗を恐れずに挑戦する空気、豊かさに支えられた楽観主義が社会全体にあったのがバブル期の特徴です。
もちろん行き過ぎた部分もありましたが、「好景気の感覚を知らない」現代において、その経験を振り返ることは、未来の経済社会を構想するヒントにもなります。

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