MMTで「メディケアはデフレ的」と考えるのはなぜ?モズラーの主張を政府支出・医療価格・インフレの関係から解説

経済、景気

MMT(現代貨幣理論)を学んでいると、「政府支出は民間部門へお金を供給するのだからインフレ的ではないか」という疑問が出てきます。そのため、MMTの代表的論者として知られるウォーレン・モズラーが米国のメディケアについて「デフレ的」と表現する議論は、一見すると矛盾しているように感じられます。

この話を理解するポイントは、政府が何ドル支出したかという金額だけではなく、その制度が医療サービスの価格、民間の支出、所得、実物資源への需要をどう変化させるかまで見ることです。

なお「メディケアは必ずデフレを起こす」という一般的な経済学上の定説として理解するのは適切ではありません。ここではMMT、とりわけモズラーの議論を理解するために、政府支出と価格設定を分けて整理します。

そもそも米国のメディケアとは何か

Medicare(メディケア)は、米国の連邦政府が運営する公的医療保険制度で、主として65歳以上の人などを対象としています。入院を中心とするPart A、医師の診療などを対象とするPart B、民間保険会社を通じたMedicare Advantage、処方薬を対象とするPart Dなどがあります。[参照:Medicare公式サイト]

政府が医療費を負担する以上、政府部門から民間部門へ支払いが発生します。この部分だけを取り出せば、「政府支出の増加=総需要を増加させる方向=インフレ的」と考えるのは自然です。

しかし、メディケアにはもう一つ重要な側面があります。政府は単に医療機関から請求された金額を無条件に支払う存在ではなく、医療サービスについて支払額を決める大規模な買い手でもあります。

「政府支出だからインフレ的」とは必ずしも言い切れない

政府支出が増えれば常に同じ割合で物価が上昇するわけではありません。インフレを考えるには、その支出によってどの程度の追加需要が生まれるのか、その需要に対応できる医師、看護師、病床、医薬品、設備などの供給能力があるのかを見る必要があります。

例えば政府が100億ドルを追加支出し、それによって新たな医療需要が急増する一方、医療供給を増やせなければ価格上昇圧力が強くなる可能性があります。これはインフレ的なケースです。

反対に、政府が民間部門ですでに行われていた支払いを肩代わりしながら、同時に医療サービスの支払価格を低く設定するのであれば、話は単純ではありません。政府支出額が増加していても、医療部門の価格や所得に下押し圧力が生じる可能性があるからです。

モズラーの議論で重要なのは「政府が価格を設定する」という視点

モズラーのMMTにおいて重要な考え方の一つが、政府は通貨の単なる支出者ではなく、何に対していくら支払うかを決める「価格設定者」でもあるという点です。

政府が特定の財・サービスを購入するとき、高い価格を提示すれば、その市場の価格を押し上げる方向に作用する可能性があります。一方、巨大な購買力を持つ政府が支払価格を低く設定すれば、その価格設定が民間部門の価格や所得にも下押し圧力を与える可能性があります。

メディケアでは、CMS(Centers for Medicare & Medicaid Services)が医師サービスなどについて支払いの仕組みや料金体系を定めています。[参照:CMS Physician Fee Schedule] モズラーの「デフレ的」という議論を理解するときには、この政府による医療サービスの価格設定という側面が重要になります。

簡単な具体例で考えると分かりやすい

仮に、ある医療サービスについて民間市場では1回1,000ドル程度の収入が医療提供者に入っていたとします。そこへ巨大な買い手である政府が「このサービスについて公的制度では700ドルを支払う」という仕組みを広く適用したとします。

政府から700ドルが支出されるため、確かに政府支出そのものは発生しています。しかし、それまで1,000ドルだったサービスの収入が700ドルになる部分では、医療提供者側の売上や所得には下押し圧力が働きます。

さらに公的な支払価格が医療市場全体の価格形成へ影響すれば、医療価格の上昇を抑える方向へ作用する可能性があります。このように考えると、「政府がお金を支出している」という事実と「価格に下落圧力をかけている」という現象は同時に成立し得ます。

「デフレ的」は物価全体が下がるという意味とは限らない

ここで特に注意したいのが「デフレ的」という言葉です。通常、デフレとは一般物価水準が継続的に下落する状態を意味します。しかし政策について「deflationary」と表現する場合には、必ずしもCPIなどの物価水準全体が実際に下落するという意味ではなく、インフレ率を低下させる方向、需要や価格に下押し圧力を与える方向という意味で使われることがあります。

したがって「メディケアが存在すると米国全体がデフレになる」と解釈すると、モズラーの意図から離れてしまう可能性があります。医療価格や医療提供者の所得に対してデフレ的な力が働く、あるいは制度の特定の仕組みがインフレを抑える方向に作用する、と理解するほうが適切です。

また、モズラーの具体的な発言は前後の文脈によって意味が変わり得ます。「Medicare」という制度全般を論じていたのか、支払価格の引き下げや特定の改革案について論じていたのかによっても解釈は異なるため、発言そのものを確認できる場合は前後まで読む必要があります。

MMTでも政府支出によるインフレリスクを否定しているわけではない

MMTについて「自国通貨を発行できる政府なら無制限に支出しても問題ない」という説明を見かけることがありますが、これは重要な部分を省略しています。MMTでは財政支出の制約として、単純な資金不足よりもインフレや実物資源の制約を重視します。

例えば完全雇用に近く、医師も看護師も病床も不足しているところへ政府が巨額の追加需要を投入すれば、お金だけ増えて実際に提供できる医療サービスが増えず、価格や賃金を押し上げる可能性があります。この場合はMMTの考え方でもインフレリスクを無視できません。

逆に失業者や未利用設備などの余剰能力が十分に存在する状況なら、政府支出の増加によってまず生産量や雇用が増え、直ちに同程度の物価上昇が起こるとは限りません。つまり重要なのは「支出したかどうか」だけではなく、支出額、支出先、価格、供給能力をセットで見ることです。

メディケアにはインフレ的な面とデフレ的な面の両方があり得る

ここまで整理すると、「メディケアはインフレ的か、デフレ的か」という二者択一で考えること自体に注意が必要だと分かります。制度には複数の経済効果が同時に存在するからです。

作用 考えられる方向
政府による医療費支出の増加 総需要を増やすためインフレ的になり得る
患者の自己負担軽減 医療需要を増やす方向に作用し得る
政府による低い支払価格の設定 医療価格・所得を抑える方向に作用し得る
民間支出の公的支出への置き換え 純粋な追加需要とは限らない
医療供給能力の不足 需要増加時のインフレ圧力を強め得る

したがって、政府支出額だけを見ればインフレ的に見えても、価格設定や民間支出の減少まで含めたネットの効果は異なる可能性があります。

これはMMTに限らず財政政策を考える際に重要な視点です。「政府支出が1兆円増えたから1兆円分インフレ的」と機械的に判断することはできません。

税金と政府支出をどう捉えるかもMMT理解のポイント

MMTでは、自国通貨を発行する政府について、家計のように「先に税金を集め、そのお金がなければ支出できない」と捉えることに異議を唱えます。一方で、税には民間部門の購買力を減らし、総需要を抑える役割があると説明します。

そのためMMTの政策分析では、「財政赤字が何ドルか」という数字だけではなく、政府が民間からどの程度の実物資源を購入し、その結果として民間が利用できる資源がどれほど減るのかが重要になります。

医療政策であれば、お金そのもの以上に、医師・看護師・病院・医薬品・医療機器といった実物資源がボトルネックになり得ます。政府が医療費を増やしても供給能力を同時に増やせなければインフレ圧力が生まれやすく、供給能力を拡大できれば同じ支出増でも結果は異なります。

まとめ:モズラーの「デフレ的」は政府支出額ではなく価格への作用を見ると理解しやすい

モズラーがメディケアを「デフレ的」と論じる趣旨を理解するには、「政府支出が増える=必ずインフレ」という一本の経路だけで考えず、政府が医療サービスの巨大な買い手として支払価格を設定する効果にも注目する必要があります。

政府による医療費支出そのものは需要を増加させるためインフレ的になり得ます。その一方で、公的制度が医療サービスへの支払価格を低く設定すれば、医療価格や医療提供者の所得を抑える方向へ作用する可能性があります。したがって両者は矛盾するとは限りません。

また「デフレ的」という表現を「メディケアによって米国全体の物価が必ず下落する」という意味にまで広げるべきではありません。MMTを理解するときは、政府支出の金額だけでなく、純粋な追加需要なのか、民間支出の代替なのか、政府はいくらで購入するのか、そして実物資源に余裕があるのかという4点を分けて考えると整理しやすくなります。

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